重慶の磁器口には明朝時代の歴史が関係していた
中国重慶の磁器口が有名な理由は主に3ある。
- 磁器
- 建物
- 歴史
ほとんどの人は、昔この辺りは磁器が大量に生産されていたとか、磁器口の建物の様式がほぼ昔のままだということで有名だということを知っていると思います。
しかし、明朝時代の歴史も関係しているということはあまり知られていません。
なのでその歴史について書きます。
明朝時代の初代皇帝、名前は朱元璋。場所は北京。彼は1398年没。
初代皇帝の息子の名前は朱标。朱标はもともと次の皇帝になるはずだったが、体が弱く病気で亡くなりました。(1392年)
そこで朱标の息子(つまり初代皇帝の孫)が1398年、初代皇帝が死んだあとすぐに皇帝になりました。朱标の息子の名前は朱允炆。
本来は初代皇帝の息子が次の皇帝になるはずですが、孫が皇帝になった。このことに腹を立てた朱标の兄弟の一人が、反乱を起こしました。この反乱を起こした朱标の兄弟の名前は朱棣。
つまり初代皇帝の孫と息子が戦争をした。この戦いを、「靖难之役」(靖難の戦い)と言います。
朱棣はこの戦いに勝ちました。この時の彼の称号を「明成祖」と言います。
1403年、朱棣は皇帝になりました。
戦いに負けた朱允炆(初代皇帝の孫)が逃げた場所が、重慶の磁器口だったのです。
話によると、彼は磁器口でお坊さんになったと言われています。
磁器口にはこのような歴史があったんですね。
余談ですが、この戦いに勝った朱棣が皇帝になって以降、中国と日本の貿易がだんだん増えて活発になっていきました。
以上、中国重慶の磁器口が有名な理由でした。